米坂線の風景

  米坂線は2022年(令和4年)8月3日から4日にかけての大雨により小白川橋梁(羽前椿-手ノ子間)の崩落等、大規模な被害が発生したため、2023年5月現在も坂町-今泉間で運休が続いております。JR東日本は2023年4月に入り、復旧には86億円の費用と工期が5年かかるとの試算を発表し、JR東日本単独での復旧は困難なため地元自治体とあらゆる可能性を探り協議したいとの考えを示しています。
  そのため、費用の負担を巡り、山形県・新潟県を含む地元自治体とJR東日本の協議が難航した場合、かなりの長期にわたっての不通、場合によっては廃線の可能性も拭い去ることが出来ません。
  只見線の復旧事情と比較すると、米坂線は沿線に小国町という中心自治体があるため復旧の条件である鉄道のニーズがある一方、山形県と新潟県の両県にまたがる問題であることと、過去、沿線に鉄道利用も含め、域外からの観光客を誘致する動きがあまりなかった点、高規格道路「新潟山形南部連絡道路」の計画があること(金丸-松岡間の「小国道路」は事業中で、2023年度は小国町-飯豊町間の概略ルート・構造の検討に着手するとのことです)、国としても3.11後の振興の後押しが必要な福島県とそうでない山形・新潟県との違いをどのように扱うか等、復旧の見通しについては予断を許さない状態にあると考えられます。
  そこで少しでも米坂線、またその沿線の魅力を弊サイトにアクセスいただいた皆様に伝えることができればと思い、このコンテンツを作成しました。いつの日か米坂線が再開することを祈りながら…。
※2023年9月にはいり、JR東日本・国・新潟県・山形県・沿線自治体による「JR米坂線復旧検討会議」が開催され、JR東日本側より「鉄道復旧に向け検討していく」と意向が表明されたようです。今後は、国-県-自治体-JR東日本間での復旧事業費負担や復旧後の安定的な運営のためのスキーム作りが課題となるようです。

2021年秋の手ノ子俯瞰

米坂線 手ノ子俯瞰

  2021年11月上旬撮影、個人的には大好きな撮影地で2010年代半ばまでは毎年訪問していました。宇津峠の峰々は紅葉が終わっていたので麓のみフレーミングしました。2021年秋の段階で手ノ子俯瞰に訪問する方はほぼいなくなったようで、俯瞰場所の尾根線への道のりは不明瞭になっており、一部藪漕ぎを行いました。そのため、この写真は恐らく現時点では最後に撮影された秋の手ノ子俯瞰の写真ではないかと考えております。
  また、ご覧の通り、下側の杉が線路にかかるほどかなり成長しており、米坂線が復旧になるころにはどのくらい景色が変わっているか気になる撮影地でございます。

栗松トンネル西側坑口そばの旧道

栗松トンネル旧道

  羽前沼沢-伊佐領間の有名撮影地で、旧道のどん詰まりから撮影します。新緑・ススキ・紅葉時期とも半逆光を活かした撮影がお勧めです。クルマは旧道に突っ込んで停める形になります。

羽前沼沢-伊佐領(沼沢駅近く)

羽前沼沢-伊佐領

  羽前沼沢駅近くの国道113号外側の法面上からトンネルを抜けた列車を撮影しました。 この日は3月の下旬で雪景色はもう見納めかなと思っていたところ、雪の予報になったためいそいそと出かけましたが8時台は猛烈な吹雪状態なり、漸く小降りになったところで撮影できました。2019年撮影、列車は上り快速「べにばな」

羽前沼沢-伊佐領(明沢川)

羽前沼沢-伊佐領

  国道113号線の明沢橋西側からから炭焼き小屋を経て旧道の明沢橋方面に向かい、右手の廃屋がある付近から撮影。この付近は新緑の時期・紅葉の時期は素晴らしいのですが、近年(2020~2021年頃)は木が繁茂し、川面があまり見えなくなっております。

宇津峠の登り口

宇津峠の案内板・休憩所

  別記事でも一部言及しておりますが、宇津峠は下越地区と置賜地区を結ぶ重要な街道である越後米沢街道・十三峠の難所である一方、現代の国道113号線の新宇津トンネルが1994(平成6)年に開通するまで多くの路線遷移をたどってきました。
  例を挙げると、江戸期に宇津峠が開削されてからの古道、明治期の三島通庸が建設を進めた三島道路、明治中期に完成したつづら折りの小国新道、昭和42年から平成6年まで供用された旧国道(宇津トンネル)、そして現在の新宇津トンネルです。  
  宇津峠は飯豊町側については、小国新道と江戸期の古道の一部が歩けるように整備されています。国道113号線新落合橋袂の旧道分岐地点にある宇津峠への案内看板には「いにしえと 今と未来を つなぐ道」という地元の小学生が考えたキャッチコピーが添えられています。  
  右写真は旧落合橋の先にある登り口地点の案内板と休憩用ベンチで、中央の石碑は2018年にイザベラ・バード通行140周年記念で建立された記念碑だそうです。


宇津峠の案内板   イザベラ・バードは19世紀後半に活躍したイギリスの旅行家というか、世界各国を旅した女性で、1878年(明治11年)に来日し、東京から日光~会津~新潟~山形を経由し北海道の平取を訪問した記録を「日本奥地紀行(一部の翻訳名は日本紀行、原著のタイトルは"Unbeaten Tracks in Japan")」として著しました。   彼女の功績が素晴らしいのは、明治初期の日本の農村部の人々の暮らしや当時の駄馬や街道の様子といった交通事情がこの著作を通して知りえることができ、合わせて日光の「金谷カッテージ・イン(金谷ホテルの前身)」の当時の様子をうかがうことができる貴重な資料となっている点があります。   イザベラ・バードは「日本奥地紀行」において宇津峠から臨んだ置賜盆地の眺望を「日本の庭園」(原著での記述は"one of the gardens of Japan")と称え、現地に入ると「東洋のアルカディア」と表現する等、置賜地区をたいそう気に入ったような記述をしています。宇津峠は現在「青苧(あおそ…からむし)とイザベラ・バードの道」としてPRしています。   なお、イザベラ・バードの著作「日本奥地紀行」は、多くの翻訳本が出ていますが、講談社学術文庫版が最も読みやすいと思います。

宇津峠

宇津峠鞍部   上記登り口から落合地蔵尊を通り宇津峠に進みます。麓の案内図通りに1時間~1時間20分程度登ると宇津峠の鞍部に到着します。この鞍部は三島道路の鞍部ではなく、小国新道の鞍部だそうです。ここから先、間瀬へは旧道が残っていますので、間瀬側より、軽トラやジムニー等、オフロード系の車を用いると、クルマで宇津峠に到達可能と思います。ちなみに普通車では轍がえぐい箇所があるので絶対に乗り入れたくない道です(私は過去乗り入れて断念し、数百メートルをバックで戻ったことがあります。)


宇津峠の旧案内票   今はありませんが、かつて右のような案内板が地蔵尊の先の右曲がりの標柱の場所にありました。この内容では、三島道路は早い時期に地崩れで使用不可となり小国新道を急ぎ整備したように感じられます。他の地区、例えば南会津から只見に抜ける国道289号の駒止峠の例を見ても、三島通庸が明治初期に整備した峠道は馬車を通そうと勾配を緩くするために極端に大回りコースにした点と、知見がなかったのか谷筋の積雪がもたらす雪崩や地崩れを考慮しないルート設定を行ったことにより、長く使用できる道路を整備できなかったのかもわかりません。   
宇津峠は古道旧道ルートの謎解きに思いをはせることができるため、実際に歩いても、歩く前の情報収集も含め、結構興味を引くコンテンツと思いますが、仮説ですが小国町は黒沢峠を観光スポットとして推したいのか、あまり小国町側が整備されていないため、落合口から登って引き返すルートが現実的で、さらにあまり歩いている人も見かけないため、もう少し何とかならないのかなあと、部外者は思ったりするところです。

旧宇津トンネル

旧宇津トンネル   宇津トンネルは昭和42年に供用が開始された国道113号線のトンネルですが、地質に問題があったことと、トンネルの断面積が小さかったため、平成6年の新宇津トンネルを含む国道113号落合改良が完成すると使用停止となり、現在に至ります。  こちらの資料(第5回長野県治水・利水ダム等検討委員会 議事録 )のPDFの10ページ目によると、スメクタイト岩盤の影響で維持管理が困難になったとの話が記述されています。
  写真は手ノ子側の坑口です。付近は積雪の影響による道路の劣化もあるので近づくのはあまりお勧めできないところです。

手ノ子駅旧駅舎

手ノ子駅旧駅舎   飯豊町内にある手ノ子地区は江戸時代には越後米沢街道の宿場町として栄えた町で、現在も当時の面影を残す建物が残っているそうです。 手ノ子駅は2020年に現在の豪雪期も雪下ろしが不要な、三角屋根の洒落た駅舎に建て替えられましたが、ここでは入口上部の「てのこ」のひらがな表記が可愛らしい旧駅舎の写真をご案内したいと思います。(現駅舎にも「てのこ」のひらがなの表記はあるようです。)

いわはなや食堂

いわはなや食堂   手ノ子駅前、国道113号線沿いに位置する食堂です。米坂線の撮影には欠かせない食堂でした。米坂線の撮影においては羽前沼沢を13:27に発車する下り1131Dを明沢・栗松・紅葉橋近辺で撮影してから昼食をとるのが効率が良いため、14:30まで営業しているいわはなや食堂さんは非常に貴重な存在でした。開通後とは言わず、また訪問したいと思います。右下の写真は小盛かつ丼と半ラーメンのセットです。


小盛かつ丼と半ラーメンのセット

麵屋 雪国

麵屋 雪国   羽前沼沢駅近くの国道113号線沿いに位置するラーメン・定食屋です。私がよく利用していたのは、2010年前後になりますが、この店の素晴らしいところは冬季の豪雪時も営業している点です。最近は「辛みそラーメン」に力を入れているようです。右下の写真はみそチャーシューめんです。


みそチャーシューめん

片洞門

片洞門   国道113号線は宇津峠の西側も路線変更によって廃れた旧道跡が多く残っています。 綱取トンネル近くにも廃道があり、東側坑口より左の方に草むした昔の遊歩道が伸びていますが、この遊歩道跡は国道113号線の旧道で、明沢川の「桜川渓谷」の断崖を切り崩して設けたようで一部は半洞門のようになっており、「片洞門」と呼ばれています。この付近には「片洞門観世音」があり、昭和8年にトラックの転落事故があったものの崖の途中にあった木にトラックが引っ掛かかり、被害は積み荷のみで済んだためそのご利益に感謝し観世音菩薩を安置したとの旨の古びた案内板があります。旧道はかつて米坂線の眼鏡橋のたもとを踏切で越え、その先に旧綱取橋があるとのことです。  小国町のHPの「町政・まちづくり」タブの「歴史・文化」「小国町の近代の歩み」ページの「写真で見る」「昭和30年(1955)~」のページには、「片洞門の旧道を通行する車 (昭和33年・昭和34年)」という写真が1枚づつ掲載されており、当時の道路事情に思いをはせることができます。
  なお片洞門は現在立入禁止の模様です。宇津峠の旧宇津トンネルも含め、この廃れてはいるものの歴史を感じさせる道路遺産を多くの皆様が触れることができる手法が何かあればよいのですが。

旧片洞門休憩所

旧片洞門休憩所   国道113号線の弁当沢トンネルと綱取トンネルの間の新潟方面車線の駐車帯東側ににかつてあった休憩所で、 2023年現在、Googleストリートビューには建物が映っていますが、建物は取り壊され現存していません。小国町の資料を見ますと「小国町公共施設等用途別管理計画(平成30年(2018年)5月)」において、築38年で旧耐震基準建築物であるため、用途廃止が決まっていたようです。2019年7月の町の広報誌「広報おぐに」にて施設の廃止について記されています。コーヒー休憩をした思い出があるため、当時の写真を挙げさせていただきます。






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