80年代の列車

ここでは1980年代の昔懐かしい列車をご紹介したいと思います。

大阪駅 583系 寝台特急「金星」

写真の「金星」号は1968年10月のダイヤ改正で誕生し、1982年の11月まで名古屋-博多間で運転されていた電車寝台の特急列車です。
1982年当時、583系で運転されていた寝台特急は関西では他に「明星」「なは」「彗星」とありましたが、金星は下り列車・上り列車とも 深夜に関西地区を通過するため普段目にする事ができず、紫色の美しいヘッドマークと合わせて子供心にあこがれの存在でした。
廃止になる直前、土曜日の深夜に大阪駅へ撮影に行きました。1982年11月7日の深夜・早朝撮影。 当時、私は一眼レフを持っていなかったため、家にあったミノルタ製のレンジファインダーのカメラで撮影しました。 ちなみにフィルムは「フジカラーF-Ⅱ」(ISO100、当時の表記はASA100)です。
写真は大阪駅9番線に停車中の3時35分発名古屋行き22M。


こちらは大阪駅3番線に停車中の1時21分発博多行き21M。


上記と同じく博多行き21M。この日は大阪で金星を見ることができる最後の日曜日でしたので、 私の他にも撮影される方がちらほらいらっしゃいました。

京都駅 夜行普通列車「山陰」 寝台車

国鉄時代には寝台客車を連結した夜行普通列車が走っておりました。寝台券の発売のためこれらの列車には愛称がついていました。 「からまつ」(小樽-釧路、1980年10月廃止)「ながさき」(門司港-長崎、1984年2月廃止)「はやたま」(天王寺-新宮、1984年2月廃止) とここで取り上げる「山陰」です。「山陰」はその中で最後まで残った列車でしたが、 1985年3月で姿を消しました。写真は「山陰」号の京都発最終列車の寝台車「オハネフ12 2022」の側面。 使用カメラはオリンパスOM30、管理人が当時所有していたカメラです。

福知山駅 旧型客車 オハニ36 

福知山駅2番線に停車する旧型客車の編成。 おそらく「行商列車」と言われた浜坂発福知山行き542列車が到着した後の姿だと思います。 最後尾の車両はオハニ36です。
1986年7月、福知山駅1番線ホームから撮影。使用カメラはオリンパスOM30。
福知山駅は2005年に高架化されたため、駅の光景は現在と異なります。
また、架線柱が写真に写っていますが、この年11月のダイヤ改正時に福知山線宝塚-福知山間と山陰本線福知山-城崎間は電化されています。


同じ列車を京都方から撮影。機関車はDD51 1189。

山陰本線 鎧-餘部 旧型客車の普通列車 

余部鉄橋お立ち台から。1986年7月下旬撮影。使用カメラはオリンパスOM30。
列車はおそらく福知山発米子行きの527レ(餘部駅15時21分発)。 撮影当時は痛ましい車両転落事故の直前の時期で鉄橋の柵がまだ低いのがわかります。
また撮影日のおよそ3ヶ月後、1986年の11月に国鉄は国鉄としての最後のダイヤ改正を実施しましたが、 この改正をもって山陰本線の旧型客車は姿を消しました。

東海道本線 高槻-島本 彗星(回送)

通称「上牧のカーブ」を走る寝台特急「彗星」の回送。
この場所は現在立ち入り不可だそうです。
1987年2月撮影。使用カメラはキヤノンA-1。
蛇足ですが管理人はキヤノンA-1を1987年1月に購入し7年ほど使用しておりました。

東海道本線 新大阪-大阪 急行「銀河」

1987年3月31日発下り列車、 すなわち国鉄とJRをまたいで運転された日の夜行寝台急行「銀河」号です。撮影場所は上淀川橋梁。 1987年4月1日撮影。使用カメラはキヤノンA-1。

東海道本線 山崎-島本 583系 雷鳥(回送)

山崎駅近くの有名撮影地「百山踏切」を行く583系「雷鳥」の回送列車。1987年4月撮影。
583系の雷鳥の定期運用は1985年で終了しているため、臨時列車の回送と思われます。
日本国有鉄道の分割民営化によりJR各社は1987年4月に誕生し、各車両にはJRマークが貼られましたが、 特急のJNRマーク(国鉄マーク)の撤去作業はすぐに完了しなかったため写真ではマークが混在しているのがわかります。

東海道本線 島本-山崎 EF58 150

EF58 150は一度廃車になった後、JR西日本誕生に合わせて車籍が復活しました。
写真はおそらく復活直後のイベント列車の牽引で列車最後部にマイテ49 2が連結されています。
1987年4月撮影。

新大阪駅 100系 

新大阪駅21番線ホームに到着した100系新幹線の16両編成。2階建て車両も連結されているのがわかります。
1987年4月撮影。










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